今の世に消えつつある職人気質
杉並区阿佐ヶ谷のR寿司さん
しゃかじぃはその昔、杉並の阿佐ヶ谷に住んでいた。
阿佐ヶ谷は昔その当時の国鉄の駅が出来る前は、国鉄幹部からあのようにキツネやタヌキしか住んでいないようなところに人間が乗る鉄道の駅を造る必要はないだろうと軽く見られていたらしい。
しかし、その後鉄道駅もでき、杉並区役所が置かれ、商店街が発達し、食事処や飲み屋さん街が形成されたようである。
役所のあるところに飲み屋街ありはいつの時代も同じか。
阿佐ヶ谷駅周辺は中華・和食・洋食などの食事処、スナック・居酒屋などの飲み屋が多く、いつも沢山の客で夜遅くまで賑わっていた。
R寿司屋さんの大将
家の近くにR寿司というご夫婦で営んでおられた寿司屋があり、時々食べに行き、お世話になっていた。
大将はいかにも職人といった風貌で、魚の調理、寿司の握りの腕はたいしたもので、いつも美味しい寿司をいただいていた。
大将は気っ風がよく、裏表がなく、曲がったことが大嫌いな人であった。
店に入ると、「いらっしゃい」と威勢の良い声で迎え入れてくれた。
へそ曲がりかも知れないが、私は客や女将さんに歯に衣をきせない語り口で話す大将のことが気に入っていた。
私は比較的大将から気に入られていて、行く度に色んな話を交わす仲となっていて、罵声を浴びせられることはなかった。
ある時のことである。
私の知り合いのKさんとスナックで飲んでいて、そのままスナックのママさんも一緒にR寿司に寿司を食べに行くことになった。
ママさんは貝類を苦手としていたらしいが、大将の握るホッキ貝の寿司を食べて
目を丸くしていやなにおいもなく今まで食べたことのない素晴らしい味だと絶賛し
次々と大将の出す寿司を喜んで食べていた。
お寿司のつけ台は職人の神聖な場所
事件発生!
その時のことである。
知り合いのKさんが日本酒を頼み、握った寿司を客に出すつけ台にお銚子を置いた時だった。

寿司屋の神聖な場所『つけ台』
大将の琴線に触れてしまった!
大将の琴線にふれた瞬間だった。
そこはそんなものをのせる所ではないと激怒、直ぐにでも帰ってもらいたい調子であったが、私がとりなし、そのまま寿司を食べることになった。

まぁまぁ…
あはははは。。。
ところで大将…
かくかくしかじか…

昔から胡麻化したり
話の方向をそらすのが上手かったのネ♪

誰だ此奴?笑
しかしその後は散々だった。
Kさんが、大将、ひらめの刺身って美味しいですよねと言った時のことだった。
そりゃ「人の好き好きだよ」とけんもほろろの調子で軽く一蹴されてしまった。
「ひらめとは」と物知り顔で言ったことが一層大将の機嫌を損ねたようだ。
こりゃいかんなということで、早々に引き上げ退散することにした。
後日、店に行った時、あのような無礼で、礼儀知らずの人は連れてきてくれるなとはっきり念を押された。
勿論、それ以降、その知り合いを連れていくようなことは二度となかった。
寿司職人にとって侵すべからざる神聖な場所であるつけ台、人が最も大切にしているものを踏みにじって、土足で入り込んで来られたという思いが怒りとなって爆発したのだと強く感じた。
大将の琴線に触れた瞬間、生涯忘れえぬ思い出となって心に残っている。
長崎思案橋のD料理店
私がJ医大のF教授と一緒に長崎大学医学部のY教授を訪ねた時のことである。
長崎大の教授と話した後、長崎の夜の食事はどこがおすすめか聞いてみた。
思案橋の評判の店
Y教授は迷うことなく、それは思案橋のD料理店だと断言されたので、2人でその店に向かった。
お店には大将と女将さん、そして上がりぶちに4人の女性客がいるだけだった。
店に入ってから私とF教授は周りを見渡し、しばらく大将ともお互い口を交わさず、目を交わすだけで黙っていた。
その内、F教授が壁に掛けてある甘鯛の干物を見つけ、あれはどうかなと切り出した。
大将はそれに対し、さすがお目が高い、ところで頭にしますか、尾の方にしますかと聞いてきた。
大将俄然やる気になった
私とF教授はすかさず「頭」と口を揃えて言ったところ、大将はよっしゃ気に入った、今日は甘鯛の頭の干物だけでフルコースの料理を作ってみますと言って早速料理にとりかかった。
干物を焼いたもの、骨酒など最後には雑炊と全く私たちを唸らせる料理であった。
F教授も天晴とお礼を述べた時、大将はまだ上がりぶちで食事をしていた4人の女性客を見て、「あのように味の分からない人達には料理の腕はふるえません」と語ったのが印象的だった。
多分、この女性客は評判を聞きつけて、とにかく美味しいものをお願いしますという感じの注文をしたのではないかと思った。
おそらく自分たちの食べたいものは何かという意思表示が全くなかったのではないだろうか。
自分の食べたいものを相手に分からせることの大切さを感じた瞬間でもあった。
そして、私が、「大将そのまな板凄いですね」と言ったら、よく言ってくれた
『これはイチョウの木で作った最上級のもので、言わば俺の舞台だ』と喜んで応えていた。
最初に会った時、口に出さなく、目で語り合う、相手が考えていることを瞬時に理解し合うことの素晴らしさを体感した一夜であった。
長崎の眼鏡橋付近の寿司屋
長崎で会合があった時、眼鏡橋付近のホテルに宿泊した。
夕食を食べようと付近をウロウロしていて、良さそうな寿司屋を見つけ入った。
後日分かったことであるが、私がまだ会社勤務をしていたころ、会社の支店の人達がよく通った店だったとのことであった。
最初に気に入ったネタから順に寿司を握ってもらい、帰ろうかなと思っていた時である。
隣に座っていた常連客とおぼしき中年の方が、例のやつ頼むと言ったが、大将は知らん顔をして返事をしない。
その客がさらに念を押したら、もうなくなったから出すことは出来ないと応えていた。
私が会計を頼み店を出ようとした時、大将から兄さんもう少し待ってもらえないかと話しかけてきた。
当店自慢のアラカブ(カサゴ)の味噌汁を出すから、食べていってくれないと言われ、それではと待っていることにした。
隣の常連客がほしかったのは、このアラカブ味噌汁だったようであるが、もう出せないと言い切っていたにもかかわらずちゃんとあったんではないですか。
変に常連ぶるな
大将にすると、変に常連面して例のアレとか言わないでほしいということだったのではないかと感じた。
これは私が行った多くの寿司屋の大将に共通していて、変に常連ぶって物を言う人は嫌なようである。
ここで、しゃかじぃの格言
お店に行った時は、
変に常連ぶるな。
変に物知り顔で話すな。
何が食べたいのか、出来ればお店の大将と心が一つになることも大切である。
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