【超常現象】霊感の怖さ【意識下】

母が入院した病院 人生
母が入院した病院

霊感の恐怖を体験!

虫の知らせ

叔父さん訪問にまつわる不思議

私(しゃかじぃ)の母親は石川県の松任町(現白山市)の出身、父親は根上町(現能美市)の出身でした。

この松任町と根上町には母方、父方の親戚がたくさんありました。

父と母が早く亡くなり親戚とのお付き合いは全て長男の私が対応することになりました。

それでも仕事の関係で2年間ほど田舎に帰ることが出来ず、ご無沙汰していました。

ところが、ある時急に思い立って父方と母方の親戚を訪ねてみたくなり、まず母方の親戚を訪ねました。

母方の1番目の叔父さんが肺がんで入院中

母方の2番目の叔父さんに連絡したら、おおアキボーかよく来たな丁度いい、実は兄貴(母の兄:長男)が肺がんで病院に入院しているのですぐこれから見舞いに行こうといって私を病室に連れて行きました。

叔父が入院した病院

叔父が入院した病院

私は小さい頃から母方、父方ともに男性からはアキボー、女性からはアキちゃんと呼ばれていました。

1番目の叔父さんは私の顔を見て、嬉しそうな表情を見せましたが呼吸が苦しくて声にならないようでした。

無理をしないように伝え、病室を離れ2番目の叔父さんにいつから入院していたのか尋ねたら、かなり長く入院していたようですが、私の仕事に迷惑かけないように伝えずにいたようでした。

でも驚いたことに、それから2週後に急に容態が悪化し亡くなったという知らせが入りました。

そして、それから少し経った頃、今度は父方の2番目の叔父さんを訪ねました。

父方の2番目の叔父さんは認知症だった

父方の2番目の叔父さんは、若い頃から北海道の小樽に渡り一大資産を形成したようですが、株と競馬で全ての財を失い、田舎に帰って来ていました。

話によると、宮崎で開催された公認競馬を観るため、北海道から鉄道と連絡船を乗り継いで行ったというのですから並みの競馬好きではありません。

叔父さんが自分の子供や私など親戚の子供に生前からよく「わしの遺言だからよく聞いておけ」と言って口にしていた言葉は「株と競馬にだけは手を出すな」でした。

株と競馬で財産を全て失った人の言葉だけに妙に説得力がありました。

私はこの叔父さんの遺言を守り、競馬は手を出したことはありません(笑)

株も会社時代に自社株を積み立て購入した以外手を染めていません。

この叔父さんの年賀状は判で押したように毎年同じ文面でした。

「平素の疎遠を詫び 貴家の万福を祈る」!

叔父さんの家に着き、居間に行くと叔父さんは椅子に座っていました。

私の顔を見て、いきなり「あんた、どなただったかな」と言われ、たじろいでしまいました。

目を見ると、何となくうつろで生気がありません。

叔母さんがやって来て、何を言ってるのアキちゃんですよ、訪ねて来てくれたんよと話しましたが、何となく腑に落ちない顔をしていました。

叔母さんの話では、数カ月前から急に記憶力が低下して、家の者でもいつも顔を合わせている人でないと認識できなくなっているとのことでした。

認知症とはかくもひどいものかと衝撃を受けました。

話かけてもあまり反応がないので、仕方なくご挨拶だけしておいとまいたしました。

驚いたことに、東京に帰ってから2週間後に叔父さんが亡くなったとの知らせが入りました。

それにしても、2人の叔父さんが本当に久方ぶりに訪問した2週間後に亡くなったのは驚きで虫の知らせとしか言いようがないと思いました。

何故2年間も訪問していなかったのに、急に行こうと思い立ったのか、振り返ってみて不可解なことと言わざるを得ません。

母の死を告げる粉々に割れたグラス

私がまだ製薬メーカーに勤務している頃、松山市内の病院での仕事を終え松山市内のホテルに宿泊しました。

朝、東京に戻るため歯磨きをしようと、グラスを手にした瞬間何の前触れもなく粉々に割れてしまったのです。

本当に跡形もないくらいに粉々に割れたものですからビックリしました。

そのグラスは全く傷もなく丈夫なグラスで、しかも強く握ったわけでもなく、軽く手にした瞬間に割れてしまったのです。

その時、東京の家の近くの病院には母親が入院していました。

母が入院した病院

母が入院した病院

母がくも膜下出血で倒れた時、実は私は南米のブラジルで開催された学会に出席していました。

東京に戻り病院に駆け付けた時にはくも膜下出血の手術は成功し完了していましたが、意識は戻っていなく寝たきり状態でした。

治療により意識が回復してからも、長期入院治療がずっと継続していました。

松山のホテルでグラスが粉々に割れた時、すぐ家に連絡したところ、今朝病院で亡くなったという知らせを受けました。

母親の死に立ち会えなかったことは本当に悔いが残りました。

松山でのグラス粉砕時には母親が私のごく近くに会いに来ていたのではないかと今でもそう固く信じています。

まさしく超常現象としか考えられない出来事でした。

Sさんの死を告げたグラス破損

Sさんは福島にお住いの方で、私とは歌手の水森かおりさんの応援を通じて知り合った方でした。

ブログではお山の大将と名乗り、かおりさんのファン仲間からも広く慕われていました。

Sさんから電話で最近食欲もなく、体重が急激に減って来ているんだとの話を聞き、お体の状態どうなんだろうかと、ずっと心配していました。

そんなある日、Sさんから私に電話があり、かおりさんのメモリアルコンサートに出席したかったが、胃がんと診断され、治療中のため病院から外出許可が出ないので残念ですが行けませんとの連絡が入りました。

チケットを無駄にしたくないので、どなたかファンの方に差し上げてくださいと言われチケットを私宛送付してきました。

丁度チケットを購入していなかった人でメモリアルコンサートへの出席を希望している方がいましたのでそのチケットをお渡しいたしました。

胃がんの状態はどうか、電話では病院に何回か連絡したのですが、仕事の関係でお見舞いには行けませんでした。

ところがある日夕食を終えた後、食器を洗っている時、グラスを手にした時のことでした。

グラスがきれいに4つに割れたのです。

この珍しい割れ方にもビックリしましたが、全く傷のないグラスなので奇妙だなと思っていました。

その翌日、秋田県のO市から宅配便が届き、どなたから届いたのか確認したら、Sさんの名前が記されていました。

しかし、Sさんご自身が書かれたものではないことにすぐ気づきました。

私は以前Sさんが書かれた文字を見て、凄い達筆の方であることを知っていたからです。

送られてきたものは比内鶏セットだったのですが、その送り元のお店に電話してSさんが来られて送られたのかどうか確認しました。

お店の方が本人から言わないでくれと伝えられたのですがと断った上、実はかなりふらふらした状態でお店に来て、伝票を書く元気がないから代りにお店で住所、氏名を記入して送ってくれと依頼し、かなりふらふらしながらお帰りになったということでした。

それを聞いてびっくりしてSさんの携帯に電話しました。

電話はつながったのですが、声はSさんのものではありませんでした。

向こうから、実は私はSの弟ですが、兄貴は昨日亡くなりましたと話されました。

Sさんが最後の死力を尽くしてお店に行かれたことを知った時、本当に涙が止まりませんでした。

弟さんは兄貴は水森かおりファンと一緒に過ごした晩年が本当に楽しかったと語っていましたと伝えてくれました。

Sさんの気持ちを考え、本当にしばらく涙が止まりませんでした。

そしてこのことは、初めて書かせていただきました。

というのは、Sさんの弟さんにSさんがお亡くなりになったことをファン仲間の皆さんにお伝えしていいかどうかお尋ねしたところ、兄貴は皆さんと楽しく過ごせただけで十分と言っていたので、あとはそっとしておいてくださいとの返事をいただいたからです。

グラスが割れた時にお亡くなりになられたことを弟さんとの電話で知り、きっとお山の大将さんが会いに来ていたんだと固く信じています。

今回の記事では、私自身も通常霊感なるものを深く信じているわけではないですが、自分の身近な人が死に直面するような時、超常現象ということが起こり得ることを信じざるを得ないという話をさせていただきました。

コメント

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