【独自の世界】非日常を地で行く!【自己超克】

阿佐ヶ谷飲み屋街 人生
阿佐ヶ谷飲み屋街

予測不能な人物

入社後初出社での出会い

しゃかじぃが会社員となり初出社の朝の出来事だった。

製薬会社の研究所に入社し、今日からどんな生活が待ち受けているのか、希望と不安が入り混じった複雑な気持ちを抱き会社への道を急いでいた。

周りを急ぐ人達の中には同じ研究所に勤務する人が多く、皆さんスーツをきちんと着ていかにも会社員だなという雰囲気が感じられました。

その中に異様な風体の人がひとりだけ

道を急ぎながらふと気づいたのですが、目の前を周りとは明らかに異なる風体の人が歩いていました。

見ると黒いズボン、黒いシャツ、黒い上着、黒いサングラスそして草履、どこかヤクザ映画の場面に出てくるような風体の人がどんどん私が目指す研究所に向かっているではないですか。

まさか、うちの会社の人じゃないだろうなと思っていましたが、会社のタイムカードのところでカードを打刻するのを見た時は全く私の常識からかけ離れた光景に唖然としてしまいました。

会社員とは就業規則があって、服装なども服務規程に含まれているんだろうと考えていた私にとっては到底受け入れがたい悪夢を見ているような状態に陥りました。

会社の先輩に聞いてみる

しかし、こわいもの見たさもあり、研修担当の先輩の方に彼のお名前はと伺うと、調査の仕事をされているKさんということが分かりました。

私は会社に入社当時は独身寮に入っていたのですが、彼の年齢から推定してまさか独身寮にはいないだろうと考えていたのですが、その予想はもろくも裏切られてしまいました。

寮の食堂でテレビを見ている先輩方を見た時彼も寮にいることが分かりました。

風体こそきちんとはしていますが、独身寮にはかなりの年配者が多数いることも知りました。

中には会長と呼ばれて、長年独身寮の主のような方もいらっしゃいました。

昔だから独身寮の年齢制限もなく、自由気ままに長年暮らせた時代だったなと思います。

通常独身寮とは年齢制限などないのだろうかと考えましたが、とにかく私の常識が通用しない世界かもしれないなと、それ以上深く考えないことにしました。

Kさんから食事に誘われる

会社に入り、初年度ということで研修を1年間受けることになり、幾つかの研究室に一定期間ずつ勉強のため身を置くことになりました。

そんなある日、思いがけずKさんから一緒に食事に行かないかという誘いがありました。

私が知らない間に結構観察されていたんだなと驚きました。

何か私という人間に特別興味を持つことがあったようで、呼ばれました。

ところで何を食べるんですかと聞いたら、焼き肉にしようと言うので彼の行きつけの焼き肉屋に行きました。

焼き肉を一通り注文してから、何か飲むかいと尋ねられたので、それではとビールを頼み食事をしながら、ところでKさんはどちらのご出身ですかと尋ねてみました。

九州の大牟田のご出身で、お父さんは三池炭鉱で働いていたようです。

大牟田市役所

大牟田市役所

三池炭鉱跡

三池炭鉱跡

ところでお宅はと聞かれたので、石川県の金沢ですと答えたら、そうかと言いながら、いつの間にか彼はビールから日本酒に切り替えていました。

私はご飯を頼んだので、Kさんはと聞くと、俺は夜はご飯は食べない、俺のご飯は酒だと笑いながら語っていました。

その後、私は独身寮を出てアパート暮らしとなりました。

会社の同期入社の友人からの情報キャッチ

私は独身寮から離れてしまったのですが、同期入社の友人は飲み屋でよくKさんと出くわすことがあったようで、その時の様子を伺うことができました。

彼は最初は話すとき、「君たち」と言っているんですが、やがて「お宅さん」となり、酒が入ってくるとついに最後は「てめいら」となり手に負えない状態になると言って友人たちはこぼしていました。

私の住んでいた阿佐ヶ谷の飲み屋で鉢合せ

同期の友人たちとは、私が阿佐ヶ谷のアパートにいたこともあり、阿佐ヶ谷駅付近の小料理屋で一緒に飲む機会が多々ありました。

阿佐ヶ谷飲み屋街

阿佐ヶ谷飲み屋街

ある時、いつものように友人たちと飲みながら歓談しているところにKさんが突然現れ、日本酒を頼むと言って私達の横に座り込みました。

酒がもう入っていて、危ないのではと友人たちは感じていたようです。

それでも最初はおとなしく飲んでいたのですが、やがて君たちに始まりお宅さん、てめいらに行きついてしまいました。

私がKさん酒ばかり飲んでいると体に悪いから、何か食べて歌でも歌ったらどうですかと言ったら、俺はてめいらと違いこんなカラオケなどはやらない。

そう言っていきなりアカペラで歌い始めました。

彼は気持ちが乗ってくると時々歌うらしいんですが、歌う歌はただひとつ、高倉健さんの映画の主題歌「網走番外地」とのことでした。

春に~春に追われし 花も散る 酒(きす)ひけ~酒ひけ 酒暮れて~

まさに自分自身を歌っているような歌詞をアカペラで大声で歌い、それじゃと言ってその日は立ち去って行きました。

自分の歌の世界に酔って、聞いている人の事など全く度外視した調子はずれの歌だったのですが、とにかく最後まで歌い切りました。

自分の世界を持っている稀有な人物とあらためて認識しました。

Tさん会社退職後のお付き合い

私達も仕事が忙しくなり、職場も研究所から本社に異動になったりしたため、その後Tさんとは疎遠になり、時々研究所に行った時に声を交わす程度になりました。

Tさんが会社を退職される時、私から以前もらった福井敦賀の小鯛のささ漬けが気に入っていたので、お金は払うから大牟田まで送ってくれないかと頼まれました。

それから盆暮れには彼のところに欠かさず小鯛のささ漬けを送っていましたが、ある時いつも貰うばかりじゃ悪いからと、彼の住んでいる近隣で採れる荒尾梨というバカでかい梨を大量に送ってくれるようになりました。

彼はそういう意味ではなかなか義理堅い人でした。

大牟田の自宅近所の飲み屋でもなかなか人気者だったらしく、退職後も自分の思い通りに世間の一般常識を超克した自分の世界観を創造し、貫いておられたと聞いて本当に私が出会った人の中でも稀有な人だったと時々懐かしく思い出します。

そう言えば彼の独身寮の机の上にはいつもニーチェの著書が置かれていました。

ニーチェが言うように、自己が置かれている現状を超えるような価値を創造したり道徳を形成することから、人間として本来あるべき自己を形成する自己超克の世界観を目指していたのかも知れないですね。

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