しゃかじい三千院でおみくじを引く!
しゃかじい京都の学会へ
国際免疫学会へ出席
随分昔のことになりますが、京都で1983年に第5回国際免疫学会が開催された時のことです。
日本で初めて開催された国際免疫学会で大阪大学の山村雄一先生が会長をされ京都市宝ヶ池の国立京都国際会館で開催されました。
なお日本での2回目の国際免疫学会は2010年にやはり大阪大学の岸本忠三先生を会長として開催されました。
岸本忠三先生は山村雄一先生のお弟子さんですから何か因縁めいていますね。
国際免疫学会で口頭発表

国立京都国際会館

山村雄一先生
画像:インターネットより引用
しゃかじいはこの学会で抗リウマチ薬の開発研究についてまとめた演題を提出していて発表することになっていました。
開発に成功した抗リウマチ研究について発表
しゃかじいは抗リウマチ薬の研究をしていて幸運にも開発に成功し、この学会で成果を発表することになりました。
京都は観光都市で観光シーズンともかち合って宿泊ホテルの予約がなかなか取れませんでした。
丁度その時私の知り合いのKさんがやはりこの学会に参加することになっていて、ホテルが確保出来なくて困っていました。
それでも平安神宮の近くに2人で同室という条件なら宿泊可能というホテルがやっと見つかり、ようやく宿泊場所の確保ができました。
2人で京都に到着したのは学会前日の早い時間だったため、どこか京都見物に出掛けようかという話がまとまり、三千院を訪れることにしました。
三千院を訪れおみくじを引く
京都市内からバスで大原三千院に向かいました。
三千院は延暦年間(782-806年)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まる寺院です。
度重なる移転を経た後、明治維新後(明治4年)、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいます。
正面の門で受付を済ませ、案内の順路に沿って拝観し、美しい庭園や数多くのお堂を巡り心癒される時間を過ごすことができました。

三千院
Kさんが明日からの国際免疫学会の成功を祈るためにパワースポットの三千院でおみくじを引きたいと言い出しました。
おみくじが比叡山延暦寺が発祥の地 ということ皆さんはご存知ですか⁉
百凶と九十九吉
それじゃということで2人ともおみくじを引いたのですが、Kさんの表情を見ると何と青ざめ、肩が震えているではないですか。
肩越しに彼のおみくじを見たら、何とよりにもよって 百凶だった のです。
内容を見るとことごとく不吉なことが書かれています。
明日からの学会を控えて彼の気持ちを考えると何も言えずに黙っていました。
それに対して、私が引いたおみくじは九十九吉だったのです。
あまりにも対照的なおみくじに私も彼に何と言っていいのか困ってしまいました。
何事も叶うかのような内容が書かれていたように思い出すのですが、あまり厳密に内容を確認したわけではありません。
すると、急にKさんは私に対して平安神宮に行っておみくじを引き直そうと言いすぐにも三千院を立ち去りたい様子だったので、一緒にもう一つのパワースポット平安神宮を訪れました。
平安神宮でおみくじ再チャレンジ
平安神宮に着くやいなや彼はただちにおみくじを引きました。
何としても吉を引き、一刻も早くげんなおしをしたいとの気持ちが表情に表れていました。
平安神宮のおみくじは棒を引き抜く形のものでしたが、恐ろしいことに 3度引き全て凶 だったのです。
凶、凶、凶と3回続けて引いた彼は最早声をかけるのも躊躇われるほど意気消沈し、顔も青ざめていました。
あまりにも大きなダメージを受けた彼に対し、これはおみくじ引きの精神には反するとは思うのですが、代わりに私が引いてみましょうと言っておみくじを引いたら確か末吉だったと思うのですがとにかく凶を引かずに済みました。
彼は完全に納得したわけではないのですが、とにかく凶の連鎖が断ち切られたことでそれ以上自分でおみくじを引くことなく、明日に備え栄養をつけるため一緒に夕食をとることにしました。
三千院も平安神宮もおみくじに凶が多いことで知られているとのことですが、何か大事を控えている人に対しては大きなダメージを与えかねないなと感じました。
三千院の百凶、九十九吉は私たちが訪れた時にはあったのですが、現在は吉と凶だと聞いています。
百凶のダメージを考えるとやはり凶ぐらいにしておいた方がいいのではないかと思います。
学会発表は2人とも成功
百凶を引いたKさんも学会発表は上手くいき、おみくじの結果への懸念は杞憂に終わりました。
私も学会発表は成功したのですが、この時思いがけない出会いがありました。
Morris Ziff先生との出会い
抗リウマチ薬の開発過程での基礎研究内容をまとめて口頭発表したのですが、その時座長を務められた方がMorris Ziff先生でした。

Professor Morris Ziff
Morris Ziff教授と私(その後米国リウマチ学会で再会したときにしゃかじいの同僚が撮影)
Morris Ziff先生がどのような方か学会の時は全く知りませんでした。
アメリカリウマチ学会の学会長も務められた方で、テキサス大学のリウマチ学の教授をなさっているリウマチ学の第一人者でした。
アメリカリウマチ学会で発表
その後、しゃかじいが開発に関わったこのお薬が抗リウマチ薬として発売されてから、米国のワシントンD.C.で開催されたアメリカリウマチ学会で発表の機会を得ました。
Morris Ziff教授そしてTさんとの再会
その学会で再びMorris Ziff教授とお会いし、京都の学会で座長をしていただいたことを話したら覚えていてくださって感激しました。
Ziff教授はご高齢にもかかわらず、疲れも見せず会場のポスター発表をくまなく見て歩いておられました。
精力的なその真面目な姿を拝見し心打たれ、少しは見習わなければと反省しきりのしゃかじいでした。
さらに驚いたのは、あのおみくじ事件のあった京都国際免疫学会でご一緒したKさんにも偶然お会いできたことです。
Kさんは当時ノースカロライナ大学に留学していて、この学会に演題をエントリーしていたため学会会場に来ていたのです。
かつてはしゃかじいと研究同僚だったKさんの奥さんも一緒に、赤ちゃんも連れて学会に来ていました。
日本のリウマチ研究者と一緒にZiff先生宅を訪問
抗リウマチ薬の開発に成功し、世の中で使われはじめて全国の色んな大学の臨床医の先生方とのお付き合いが始まりました。
神戸大学のM先生との思い出
その中でもとても親しくお付き合いさせていただいた方に神戸大学病院の整形外科のM先生がいました。
研究熱心な先生で、いつもその視線の先には世界のリウマチ学動向が見据えられていました。
論文数も多く、若手でも第一線の研究者として名を馳せていました。
現在も三宮にクリニックを持ち、兵庫県の社の近くに大きなリウマチ膠原病の病院を経営されご活躍中です。
当時神戸大学の整形外科の教授を務められたH教授は若手研究者の育成に精力的でM先生を含め多くの神戸大学整形外科の若手医師をZiff教授の研究室に留学させていました。
そのような経緯があり、アメリカリウマチ学会が米国のヒューストンで開催された時、M先生のお誘いでダラスにあるテキサス大学のZiff先生宅を訪問することになりました。
本当に幸運なことにZiff教授宅でZiff先生ご夫妻とそのスタッフの先生の歓待を受けました。
一流とは何事にも通じている
Ziff教授はその時訪れたメンバー全てのステーキを自分でグリルで焼いてくれました。
そして一人ひとりにステーキの焼き具合がどうかを聞いて回られました。
聞いたところによると、日本人が好む肉質を知っていて、わざわざ肉屋でその部分を買って来てくれたようです。
本当に心のこもった丁寧なおもてなしに感激するとともにそのホスト役に徹した姿に感動すら覚えました。
一流の人は何事にも通じているものだということを知らされた良い機会となりました。
Ziff教授はユーモアもある方で、日本から自分のところに留学した日本人の名前の末尾に「…ひろ」が付く人が多いことに触れ、皆んなHero(ヒーロー)だと言って私達の心をなごませてくれました。
偶然は偶然造り出されるものではない
このような偶然はなかなかないことだと思い、おみくじのタイトルで書かせていただきました。
偶然のように思えてもその偶然は偶然導かれたものではなく、何か必然の糸に導かれているように感じます。
生きて行くプロセスで連綿と繋がっていく人と人の絆は消えることなくどんどん発展していくことを実感しました。
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