偶然の出会い!
転校ごとに素敵な出会い
Tさんと隣り合わせの席
しゃかじぃは小学校入学の時は石川県の能美郡根上町(現在の能美市)の浜小学校に通っていましたが、親父の仕事の関係で母親の里の松任町(現在の白山市)の松任小学校に転校することになりました。
まだ小さい頃の転校だったので、周りにどんな人がいるんだろう、皆についていけるだろうかとか、色んな不安もありましたが、新しい環境への好奇心もあり、複雑な気持ちで転校1日目を迎えました。
転校してまず自己紹介をさせられた後「N君座る場所はTさんの横の席ですよ」と案内され、そちらに向かい座った瞬間「私Tと言います、よろしくね」と挨拶されました。
Tさんは目の大きな綺麗な子でしたが私も「どうぞよろしく」と返事をして座りました。
Tさんは間髪を入れず「N君最初は分からないことが多いでしょうから何でも聞いてね」と言ってにこっと笑顔を送ってきました。
Tさんはとんでもない才媛
1時間目は国語の授業でしたが、Tさんはすごく頭の良い子で、先生にかなり難しいことを聞いて困らせていました(笑)
ちょっと彼女のノートをみたら、いろいろ文章を書いてありましたが、句読点を打つ位置など完璧で、これはかなりの才媛だなと瞬間感じました。
そして2時間目は音楽の授業で、担当は木下という先生でしたが「転校生のN君がいますので先生がピアノを弾くので歌ってもらいましょう」といきなり指名されました。
しゃかじぃ小学唱歌 海を独唱
たまたま知っていた歌だったので良かったですが、ドギマギしてしまいました。
歌った歌は『海』でした。
木下先生の素敵なピアノ音に合わせ「うみは広いな 大きいな」で始まる歌を歌い終わった時、万雷の拍手が起こり思わず恥ずかしく俯いてしまいました。
木下先生は「N君素晴らしかったですよ、澄み切った高い綺麗な声は凄いですよ」と褒めてくれました。
その日の授業が全て終わり、家に帰ろうとしたらTさんが来て、家が近くだから一緒に帰ろうと誘われました。
一緒に帰る途中で、N君って歌がすごく上手いのねというから、いやそれ程でもというと、謙遜しなくていいよ、本当上手いからと言いながら、N君せっかく松任に来たんだから、松任の有名な人なんだけど、加賀の千代女のお寺に行ってみましょうよと連れていかれました。
Tさんの博識に驚嘆
その積極性とともに、彼女の博識なことに驚きました。

聖興寺
加賀の千代女がどんな人か私に滔々と説明してくれたのです。
とても小学校1年生とは思えませんでした。
加賀の千代女ゆかりのお寺、聖興寺(しょうこうじ)に着き、加賀の千代女が17歳の時松尾芭蕉の門下の各務支考(かがみしこう)の訪問を受け、その面前で2つ俳句を詠み、その才能が日本全国に知れ渡ったことについて私に説明してくれました。
各務支考に認められた千代女の句
「稲妻の 裾をぬらすや 水の上」
「行春の 尾やそのままに 杜若(かきつばた)」
「
加賀の千代女像
あまりの博識さに驚いてしまいました。
Tさんとはとても仲良くなり学校の行き帰りはいつも一緒でした。
ライバルYさん出現
同級生に当時は本当にお嬢さんとはこんな人だなというYさんがいました。
彼女はお父さんが政府関係の仕事をしていて田舎では考えられない文化的な毎日を送っていたようです。
その当時バレエを習うというのはまず考えられないことでしたが、彼女は週に何回かレッスンしているようでした。
彼女の家は裕福で、家に婆やがいたようです。
ある時、私が帰ろうとして下駄箱の靴を取り出そうとしたら、封筒が落ちてきたので何だろうと思って見たら、Yさんの名前が書かれていて、中の便せんに婆やが「お菓子を作ってくれているから遊びに来ない?」という誘いでした。
前を見るとYさんが立っているから、ドキッとして私は今日はちょっとやることがあるからと言って断りを入れて、いつものように帰路につきました。
Tさん遠くで待っていた
しばらく歩いて行くと、そこにTさんが現われ、N君きっと来ると思っていたよと話しかけてきました。
確かに、Yさんの婆やのお菓子をいただいて窮屈な思いでいるより、Tさんと遊んでいた方が楽しいのは事実で小学生は物につられないと後で振り返って感じました。
その時感じたのですが、Tさんは単に頭がいいだけでなく、私の心情を読み取っていたのですね。
人の心も読み取る力もあるなと感動しました。
本当に彼女は理解力、判断力、決断力、実行力と全てを兼ね備えた女性だなと正直尊敬していました。
しばらくTさんとの楽しい毎日が続きましたが、私の父が能登で仕事をすることになり、私も能登に引っ越すことになりました。
Tさんは私と別れる時、素晴らしい毎日をありがとう、この楽しかった日々は一生忘れないからと言って私を新天地へ送り出してくれました。
後日、中学生時代のことですが、石川県では全県共通の模擬試験があり、成績発表を見ると彼女はいつも全県で3本指に入っていたのです。
私にとってはライバルでもあり、懐かしい思いでいっぱいでした。
K君との出会い
石川県の能登は私にとって初めての地でした。
七尾市のやや北に田鶴浜町というところがあり、そこの田鶴浜小学校に転校することになりました。
山あり、川あり、海ありの自然豊かな町でした。
能登に行って一番困ったのは、日常使う言葉が加賀地方とは全く違うことでした。
まるで外国語を聞いているようで、しばらくの間、他の人が何を話しているのか全然分かりませんでした。
町を歩いてみて感じたのですが、松任は金沢の近くでかなり洗練された町並みだったんですが、田鶴浜は素朴な田舎町だなと感じました。
そして、初めて学校に登校した日、K君との出会いがありました。
また運命の出会いでした。
「N君、ここは初めてで分からないことばかりだろうから、僕に聞いて」と言われました。
学校の授業は松任小学校の方がかなりレベルが高かったようで、あまり困らなかったですが、言葉や町の様子は全く分からなかったので、よろしくお願いしますと返事いたしました。
K君といい、松任時代のTさんといい、私は本当に周りの人との出逢いに恵まれていたなと感謝しています。
N君、帰りの道よく分からないだろうからと、一緒に帰ろうと言い、僕の家に寄っていってよと誘ってくれました。
優しいお母さんがいて、よく遊びに来てくれたねと歓迎してくれました。
お父さんは建具に漆を塗る仕事をやっておられて職人らしい実直な感じの方でした。
皆に私を紹介
N君、家に帰ったら、今度はみんなどんなところで遊んでいるか案内するからと言って、同級生や上級生が集まっているところに連れて行って私を紹介して、仲良くしてやってねとみんなに私を会わせてくれました。
本当に小学校1年生とは思えない気配りで、私には真似の出来ないことだなと感心してしまいました。
それ以来多くの人達と野球や釣り、チャンバラごっこ、お祭りへの参加など楽しい小学校時代を送ることが出来ました。
今でもK君がいなければ、とてもすぐに皆さんの中に溶け込むことが出来なかったなと思っています。
K君の世話好きなところはとても私にはマネの出来ないことだと実感した出来事がありました。
ある時、私の母がK君の家の前を通ったら「N君のお母さん、家にあがってお茶でも飲んで行ってください」と言われたようで、凄く気が付く子だねといって感心していました。
同級生ライバル
同級生のE君とも引き合わせてくれました。
E君の家は呉服屋さんだったんですが、やはりお母さんが優しい方で、私が遊びにいくといつも気持ちよく迎えてくれました。
E君のお父さんは本職の呉服屋より、映画館やパチンコ屋の経営などを嬉しそうにやっていましたが、将棋や囲碁なども強く、かなり頭のいい人だなと感じました。
K君、E君は小学校時代お互いに勉強も、遊びも良きライバルとして切磋琢磨する関係にありました。
松任、田鶴浜での小学校時代の生活が私のその後を造る基礎となったことは間違いありません。
その中で、本当に人と人の出逢いの重要性を感じざるを得ません。
そして偶然と思える出逢いがその後の自分の生き方に大きく関わっていくことを学びました。
偶然の出逢いが自分の行く道を決定していくんですから、ある意味必然といっても過言ではないですね。
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