【上杉と畠山の戦い】永遠の宿敵・時間を超えて【源氏と平氏の戦い】

人生

BEYOND THE TIME(時間を超えて)

しゃかじぃ
しゃかじぃ

今は昔、しゃかじぃの小学校から高校時代にかけての稀有な体験話をさせてくだされ~

石川県の七尾市周辺を舞台とした話になります。

しゃかじぃはその頃能登の七尾市周辺に住んでいました。

七尾市は石川県の能登半島の中心都市で温泉地として有名な和倉温泉の近くにあります。

戦国時代の七尾城をめぐる戦い

その昔七尾には天空の城と言われ日本五大山城と称されていた有名な山城で難攻不落の七尾城がありました。

上の画像は旧七尾城址と城址からの七尾湾の眺望

画像:インターネットから引用

室町幕府三管領・畠山氏の分家名門能登畠山氏が戦国時代前期に築いた七尾城をめぐり、越後の上杉謙信と七尾城主・畠山氏との戦いが天正4年(1576)から翌年まで2度にわたって起こりました。

上杉謙信は安芸国の毛利輝元より上洛要請を受け、さらに室町幕府将軍足利義昭から織田信長討伐の命を受け、上洛を急いでいましたが、京への交通路を掌握する必要があり、そのためにも能登国平定が急務となっていました。

その当時能登畠山氏はまだ幼児であった畠山春王丸が当主となっていましたが、実質的には重臣の「長 続連(ちょう つぐつら)」とその子「長 綱連」が実権を掌握していました。

それに対し、上杉謙信は畠山氏8代当主「畠山義続」の次男「畠山義春(上条政繁:じょうじょうまさしげ)」の擁立を画策し、義春を能登畠山氏の正統な当主とし、治安回復を大義名分として能登国内の内紛処理の戦いを引き起こしました。

能登畠山氏の家臣の中には上杉謙信になびく「遊佐 続光(ゆさ つぐみつ)」らの勢力もありましたが、長 続連は上杉謙信への徹底抗戦を主張し、最終的に謙信と戦うことが決定しました。

七尾城は地形的に峻険で軍神と言われたさしもの上杉謙信も攻めあぐみ、さらに長 続連らの智略、勇猛さは上杉軍に一歩も引けを取らず、その頑強な抵抗にあい、なかなか降伏させることは出来ませんでした。

しかし、思わぬことから状況が一変しました。

強力な防衛で上杉軍を寄せ付けなかった七尾城でしたが、城内で疫病が蔓延し、籠城戦を展開していたため将兵の多くが病に倒れ、幼君・春王丸も疫病で命を落としました。

疫病蔓延で見えない敵に内部から侵食された七尾城で、以前から長 続連と対立していた親謙信派の遊佐 続光が上杉軍に内応し、七尾城内で謙信派の勢力が反乱を起こし、開城して上杉軍を招じ入れ徹底抗戦派の長 続連らの勢力は一網打尽にされてしまいました。

この七尾城の戦いは上杉謙信の人生最後の一大戦争で、その後時を置かずして、謙信は49歳で亡くなり、上洛の夢は果たせませんでした。

上杉謙信が七尾城を攻め落とした陣中で作った詩は有名で、今でも詩吟で詠われています。

長尾先生との思い出

しゃかじぃ
しゃかじぃ

これからしゃかじぃの人生に大きな影響を与えた2人の先生の話をしようかの~

これが偶然上杉家・畠山家に関係が深い2人じゃった。

皆さんが生きていかれるのに役に立てば嬉しいのう。

しゃかじぃが小学5年になった時、担任の先生として赴任して来た長尾先生と初めて対面し、優しい面差しながら武士を思わせるきりっとした風貌に惹かれました。

この頃、しゃかじぃは小学校の漫然とした授業に不満で、いつも学校の図書館や貸本屋の本を読み漁っていました。

長尾先生に出会った時、この人は私を素晴らしい方向に導いてくれる人だと直感的に感じました。

授業に飽き足らなかった私は、図書館や貸本屋で借りた本を持っていつも授業が終わると、近くの川へ行き釣りをしながら本を読むのを日課にしていました。

そのため学校にはいつも釣り竿持参で登校し、釣りの餌となるミミズがいるゴミ捨て場の近くの校舎の脇に立てかけていました。

このことが職員会議で問題になったらしく、遊び道具を学校に持ってくるのはけしからんという言う意見が多く出されたようです。

この時、長尾先生は「釣り竿を1本校舎に立てかけても何の迷惑にもならないし、家に帰ってまた学校に釣りの餌を取るために戻って来るのはあまり意味がないんじゃないか」と話してくれ、釣り竿持参が以降も許可されたことを覚えています。

確かに遊び道具を学校に持参するのはまずいかも知れませんが、何かにつけ規則を重視する多くの先生方に比べ、柔軟な考え方をする長尾先生の魅力に引き付けられてしまいました。

授業も4年生までとはまるで異なっていました。

「N君(しゃかじぃ)、授業が繰り返しで面白くないと思ったら、自分で他の勉強していても構わないよ」と言われ、同じことの繰り返しばかりでうんざりしていたそれまでの授業とは一変し、私の新たな学習意欲をかき立ててくれました。

4年生までは授業が退屈になると、鉛筆の芯がナイフでいかに芸術的に削れるかとか、時間つぶしをやっていました。

長尾先生からのお墨付きをもらい、親に頼んで買ってもらった分厚い学習年鑑をそれこそ隅から隅まで何回も完全に暗記するほどまでに読み、長尾先生から指名でN君これはどうかなと聞かれた時、それは学習年鑑の何頁に載っていますと、教科書に出ていない内容について紹介し授業で皆んなで討議するなどクラス全体に活気が漲っていました。

学習指導要領とか枠にはまった授業しかしない先生とは全く異なり、生徒の自主的な学習意欲や新たな世界への挑戦を促す長尾先生の教育方針は私の未知へのチャレンジ精神を大きく育ててくれました。

蛇事件勃発!

そして、ある時事件が起こりました。

学校の前庭で先生と話している時、目の前を蛇が通り過ぎようとしたのです。

私には信じられないくらいの俊敏な動きで、素手で蛇の頭付近をつかむとそのまま口から真っ二つに引き裂いてしまったのです。

とても慣れた手つきで、いつもそんなことはやっているよと言う風に感じました。

しかも、激しいことに長尾先生は職員室でその引き裂いた蛇を焼いて食べたのですが、職員室にいた女性教員は「キャー!!」と大きな声を上げているのが聞こえてきました。

あとで先生に「蛇の味はどうだったんですか?」と聞いたら、「小さな蛇だったから少し味は悪かったな」と事も無げに答えていました。

そして、その頃になり遅ればせながらようやく先生がどうも越後の上杉謙信の流れをくむ人だと知ったのです。

長尾先生の家には家系図や、鎧兜もあるようで、上杉謙信つまり長尾景虎の血筋を引き継いだ上杉家の係累であることを知り、あの凄まじい蛇引き裂き事件も納得した次第です。

上杉謙信の七尾城の戦いの後、能登の七尾周辺に長尾家の係累が住みついたのではないかと想像しています。

長尾先生からは人間生きる上で、上から教えられたことだけを受動的に学ぶのではなく、絶えず未知の世界に果敢にチャレンジすべきことを学び、時には野性味あふれた力強さも厳しい自然環境の中で生き抜くために必要なことを教えていただきました。

しゃかじぃ
しゃかじぃ

長尾先生から教えられたことを単に覚えるんではなく、新たな未知の領域に挑む気持ちが大切なこと、自然の中で生き抜くためには野性的な力強さも必要だと教えていただいたんじゃよ♪

山本先生の思い出

高校1年生の時でした。

数学を教えてくださったのが山本先生で、女性で綺麗な方でしたが、どこかきりっとした雰囲気、品格を感じ、長尾先生に感じたのと同じ感覚だなと思いました。

奈良女子大学であの有名な数学者「岡 潔先生」の愛弟子だったそうで、切れのある講義と頭の良さに凄いなといつも感じていました。

岡 潔先生はその多数の著書の中で、教育の重要性を一貫して強調されていますが、山本先生はまさしく教育の場でその教えを体現されている方だと感じました。

山本先生にはこの他、進学や人生相談に関するカウンセラーとしても貴重なご意見を多数いただいたことを覚えています。

ある時、私の父親が山本先生が七尾城城主であった畠山氏の重臣だった飯田家の娘さんだという情報を聞きつけて来て、私に話してくれました。

飯田家は今も観光スポットにもなっている名家で素晴らしい庭園は多くの人を楽しませてくれています。

その情報を聞いて、すぐ私の頭に浮かんだのが長尾先生のことでした。

ということは、私は七尾城の戦いで対峙した上杉、畠山の係累、重臣の家系の人の双方から教えていただいたことになるなと、思わず身震いしました。

上杉・畠山の七尾城の戦いが偶然とは言え、教育の場で私の人生に大きな影響を与えた2人との出逢いを作り出したのです。

2人の先生の教えは今も私の胸に深く刻まれています。

戦国時代に命をかけて戦った宿敵上杉・畠山両家の末裔しかも素晴らしい教育指導者に遭遇するという稀有な体験が出来たことに心から感謝しています。

しゃかじぃ
しゃかじぃ

人生において偶然はつきものじゃが、その出逢いがその人の人生に大きな影響を与えることになることもあるんじゃよ。

人と人との出逢いを大切に生きたいものじゃのう~

【偶然か必然か】幼友達との出逢い【運命】

水森かおりと桑田真澄の意外な共通点 挫折からの飛躍!

コメント

タイトルとURLをコピーしました